CC活用事例:IPSJ MOOC

2020年の秋より、情報処理学会(IPSJ)による高等学校「情報Ⅰ」に関する教材が公開され始めました(https://sites.google.com/view/ipsjmooc/)。こちらの教材は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-NC-SA 4.0)にて無償で公開されており、日本ではまだまだ普及途上にあるOERの貴重な事例と言えます。今回、放送大学の教授で、情報処理学会の理事も務め、MOOCの制作に携わっておられる辰己丈夫氏にご協力いただき、CCライセンス導入に至った経緯等について話を聞くことができました。(以下敬称略。)


CCJP:まずは IPSJ MOOC について簡単にご紹介いただけますか?

辰己:IPSJ MOOC は、高等学校「情報科」の教員研修や授業等で活用できる教材です。実際にプログラムを書きながら学習ができるGoogle Colaboratoryを用いた教材と、動画の教材を用意しています。MOOC 制作のプロジェクトは情報処理学会の理事が受け持っているもので、学会内部では特別なワーキンググループとしての位置づけで行っています。

IPSJ MOOCのwebサイト

CCJP:2020年はコロナの流行でデジタル教育への関心が集まっている印象を受けますが、こちらの教材もコロナを受けてのものだったのでしょうか?

辰己:プロジェクトが始まったのは2019年の秋からで、同じ年の暮れには全体の構想は出来上がっていましたので、コロナが流行する以前から制作は始まっていました。コロナの影響で公開が想定よりも遅れてしまい、どちらかというと負の影響が強かったです。「コンピュータとプログラミング」の章の動画の撮影は2020年の3月に行う予定でしたが、コロナの影響でこれを延期せざるを得なくなり、最終的に公開できたのは同年の秋となりました。

CCJP:MOOC 制作の背景にはどのようなことがあるのでしょうか?

辰己:2022年度より高校での「情報Ⅰ」が共通必履修科目となります。しかし全国的にこの科目の内容に追いついけている教員が不足しているのが現状です。こうした状況を踏まえて文部科学省から高等学校情報科教員研修用教材が公開されましたが、この教材だけでは実際のプログラミングまで理解するのは難しいという声が多くありました。そこで情報処理学会と、情報処理学会と交流のある関係者とで話し合い、民間企業および一般社団法人から寄付を受けるかたちで情報処理学会が本教材を作成する運びとなりました。教材の作成の目的にはこのように情報科教員の研修がありますが、教員に限らず誰でも学習に利用できる教材にしようという考えのもとで制作しています。

CCJP:どのような経緯でCCライセンスを採用することになったのでしょうか?

辰己:CCライセンスを採用することはプロジェクトの初期の段階から決まっていました。高等学校の情報科の教員研修、もっと大きく言うと日本の情報教育のアップデートが目的ですので、なるべく広く利用してもらうために無償で使えるようにすることは優先事項でした。無料であれば教員間での二次利用などが発生することも当然想定されます。こうした場合、利用者に許諾を申請してもらって、それを私達の方で承認していくというのは双方にとって負担になりますので、そうした手続きは省いて自由に使ってほしいという思いがありました。ただし民間企業および一般社団法人からの寄付で作成している以上、教材の営利目的での利用はふさわしくないのではないかという考えから非営利(NC)の条項を入れています。動画もGoogle Colaboratoryで提供している教材も同ライセンスですので、インターネットが使えない環境でも事前にファイルをダウンロードして様々な形で利用することができます。

Google Colaboratoryを使った教材。ウェブブラウザ上でPythonのコードを書いて実行することができる。

CCJP:CCライセンスを採用するにあたって課題はありましたか?

辰己:特にありませんでした。情報処理学会のこのワーキンググループのメンバーは情報活用についてもカバーしていまして、著作権やCCライセンスの意義などについて理解している人は非常に多いと思います。

CCJP:教材を公開したことへの反響はありましたか?

辰己:利用に際して許諾申請の必要が無いので、どこでどのように活用されているかの把握はできませんが、YouTubeの再生数を見るとぼちぼち利用されつつあるかな、という感じです。4月現在までで公開している教材はPythonを使った実践が中心でしたが、制作中の「情報システムとデータサイエンス」では情報に関するより幅広い内容になっています。今後コンテンツが追加されていくので多くの方に使っていただきたいですね。

CCJP:今後、教材がどのように利活用されることを望んでいますか?

辰己:できるだけ多くの人に学習機会を提供したいという思いがありますので、教員研修での利活用はもちろんですが、学生や社会人などの個人や企業研修などでも使って欲しいです。実際に民間企業から社員研修で使ったという声をいただきましたし、また別の企業から、この教材をベースに新たな教材を作りたいという申し出もありました。CCライセンスで公開していますのでライセンスの範囲内であれば自由に利用していただけますし、利用に際して申告の必要はありませんが、こうした声が聞けるのは嬉しいですね。企業に限らず学校などで同じように、この教材をもとになにかを作っていただくのも大歓迎です。また、今回の教材は高等学校の教員研修にフォーカスしていますが、生徒を対象とした授業や、中学校や小学校、幼稚園での学習にも広がって欲しいという思いがあります。

CCJP:一時期に比べてMOOCに対する世間の関心は薄れているように感じますが、今後のオンライン教育の可能性についてどのようにお考えですか?

辰己:MOOCで目指していたやり方が後退していくことは無いと考えています。教材をオープンな形で公開することで多くの人々が幸せになり、そこから新たな価値が生まれます。そしてそれは長い目で見ると自分たちにとっても利益となります。こうした投資は中長期的に世の中を良い方向に向かわせるということを私が所属している情報処理学会や放送大学の教員・研究者らも理解しています。また、情報が物理的なものに縛られてしまうと価値の創造も制限されてしまいます。デジタルな情報は物理的なメディアに縛られていないからこそたくさんの人に使ってもらえますし、コストも負担しなくて済みます。そしてそれが結果として多くの価値を生み出します。ですので、こういったオープンな形でのオンライン学習は進んでいくと私は考えています。


あとがき

ここ数年でGIGAスクール構想により生徒一人ひとりへの端末の配備が進み、2021年3月にSTEAMライブラリーが公開されるなど、デジタル教育はますます進んでいます。その中でオープンな形の教材を作成・公開し、教育を進展させ支えていこうとしている方々がいることを今回のインタビューを通じて改めて認識することができました。オープン教育の認知度はまだまだ低いですが、多くの人々に利益をもたらすポテンシャルを持っています。IPSJ MOOCはそのポテンシャルを示す重要なロールモデルであると感じました。お忙しい中インタビューにご協力くださいました辰己丈夫さん、どうもありがとうございました。

執筆:豊倉幹人