
2020年4月21日
オープンアクセス(OA)の利点は疑いようがなく、すべての学術分野および科学研究においてさらに明白になっている。学術出版物(*1)を自由かつ開かれたかたちでアクセスし、再利用も可能にすることで著者が広く認知されやすくなり、資金提供者による投資の効果が大きくなり、他の研究者および社会全体がアクセスできる知識が増える。このようなオープンアクセスの明らかな利点にもかかわらず、研究者の中には、研究公正を保護するためという誤った信念から、自身の研究論文をより制限の強いライセンスで公開している者がいる。
不正行為、複製、盗用、エッセイ・ミル(レポート作成会社)の利用などといった、学術におけるあらゆる不正は、世界中の学術コミュニティにおいて重大な問題であることは間違いない。しかしこの問題はデジタル技術や(CCライセンスなどの)オープンライセンスが登場する以前からあったものだ。オープンアクセスは明らかに学術における不正の原因でもなければ問題を悪化させているわけでもない。
このブログ記事で私達は、研究公正に取り組むアプローチとして学術出版物に制限のあるライセンスを付与することは不適切であることを説明する。特に、「改変禁止」(ND)ライセンスを使用することは、学術における不正を取り締まるための賢明な選択肢ではないだけでなく、研究、とりわけ公的資金による研究を広めることに役立たない。また(CC BYまたはCC BY-SAのような)真にオープンなライセンスに記載されている保護規定は、その他学術における不正および類似の悪用に対する防衛手段以上に、悪意のある学術行為を防ぐことに適していることを示す。
研究者は究極のリミキサーだ
研究者は、出版物が読まれ、インパクトを与え、より良い世の中を作るために研究を公開する。これらの重要な目的を実現するために、研究者は自身の出版物およびデータの再利用と翻案が可能であるようにしなければならない。また、他の研究者の出版物およびデータの再利用と翻案が可能である必要もある。「私が先を見渡せたのであれば、それは私が巨人の肩の上に立っていたからだ」という歴史上最も影響力を持った科学者の一人であるアイザック・ニュートンの言葉は有名だ。仲間や先行者のアイデアと出版物を頼り、見直し、再利用し、改変し、その上に新しい発見を積み重ねていかない限り新しい知識は生まれないという意味だ。研究者は究極のリミキサーなのだ。そしてオープンアクセスはこのリミックスを可能とする究極の方法なのだ。
NDライセンスのついた出版物はオープンアクセスではない
ブダペスト・オープンアクセス・イニシアチブとその2012年の勧告で定義されているように、NDライセンスの下で出版される内容はオープンアクセスとは見なされない。NDライセンスは他の研究者によるコンテンツの再利用を過度に制限し、知識の発展に貢献する機会を奪っている。これがNDライセンスを学術出版物に付与することが推奨されない主な理由だ。公文書など、大幅に改変されてはならない一部の種類のコンテンツにはNDライセンスが使用されるが、このライセンスを、学術出版物の翻案を禁止するために使用することは、学術研究の精神に反する。それどころかNDは研究者にとって害にすらなる。
例えば、NDライセンスは翻訳することを禁止する。学術において英語が支配的であることから、NDライセンスは英語を話さない人々による情報へのアクセスにとっての障壁となり、英語圏を超えた研究の普及を制限する。学術記事に含まれるグラフ、画像、図は、アイデアをより広範囲に広めるために不可欠であるが、NDライセンスは(別途翻案を許可するライセンスが付与されていない限り)、これらの翻案も禁止する。
利用者は、異なる管轄での著作権法における「翻案」定義の違いや、例外・制限規定の適用の違いのために気力を無くすかもしれない。テキストマイニングとデータマイニング(TDM)を利用した新たな知識の生成はその良い例だ。TDMのプロセスの最中に翻案が行われていると主張できるような場合でも、生成されたアウトプットがインプットのいずれかの翻案に該当することはないとほぼ断言が不可能な場合でも、研究者がTDMを行うことを著作権法における例外として認めることを明確にしている法律も存在する。NDライセンスの利用は、このような完全に合法な行為への誤った解釈を生み、これらの行為全体を妨げる可能性がある。そしてこれは科学の発展の障害となる(*2)。
一部のリミックス行為はNDライセンスでも可能
NDライセンスは学術出版物の再利用と翻案を完全に阻止するわけではない。1つ目に、引用、レビュー、批評や、フェアディーリングやフェアユースなどの一般原則といった例外・制限規定を通じて著作権法が利用者に対して認めている権利はライセンスによって制約を受けない。さらに、一般的に、アイデアや例を示すためにオリジナルから一部分を抜粋して別のより大きな作品の中に配することは派生作品に該当しないことを私達のFAQでは明確にしている。これは単なる複製行為であり、NDライセンス違反となるような、既存の創作物をもとに改良を加える行為ではない。すべてのCCライセンスは(最も制限が強いものでも)非営利目的での複製を許諾している。
これらに加え、NDライセンスのついた出版物を翻案したい場合、作者に対して個別にライセンスを申請することもできる。しかしこれは再利用する際の不要な取引費用を発生させ、再利用を考えている人は、許可を得るための煩わしい手続きを踏むよりは他のソースを当たるかもしれない。
他の研究者がNDライセンスのついた創作物を法律の範囲内で再利用する方法がいくつかあるものの、学術的な文脈においては不十分である。
すべてのCCライセンスは作者の表示を必要とする
全てのCCライセンスには、作者の評判と表示に関するリスクに対する複数の保護策が含まれており、ライセンスの規約に違反した再利用者への措置についてしっかりとした法的対応が取られてきた。これらの防衛手段は学術規範に付け足されるものであり、学術規範の代わりとなるものではない。これらはオリジナルの作者の評判の保護と、創作物の改変が誤って本人に紐付けられることへの懸念を軽減させ、オリジナルの作者にさらなる保護を提供するためにある。これらの防衛手段には、例えば以下のようなものがある。
- 作者等へのクレジットの表示は6つあるCCライセンス全てで必須である。作者が自身の名前の非表示を求めない限り、再利用の目的、媒体、文脈に沿って合理的な範囲で作者の表示(学術ではcitation(引用)と多くの場合呼ばれている)を行う必要がある。(作者が、再利用された創作物から距離をおきたいと考え名前の非表示を求める場合、利用者は合理的な範囲でクレジット表示を削除する必要がある。)
- 再利用者は、作者などへのクレジット表示にあたっては、作者が再利用者の見解の支持を表明していると示唆するいかなる形もとってはならない。
- 再利用者は、もととなる作品に加えられた変更を示し、もとの作品へのリンクを提供しなければならない。変更された資料を利用しようとする人は、これにより何が変更されたかを確認できるようになる。そして、その利用者がどの部分が元の作者によるもので、どの部分がもとの作品の作者ではなくそれを改変した利用者によるものなのかの判断が可能となる。詳細については CC BY 4.0 ライセンス規約の 3.a で見ることができる。
著作権は研究公正を守る最善の枠組みはではない
概して、著作権法とCCライセンスは研究上の公正に関する課題を解決するための最も適した枠組みではない。関係のある、確立された、永続的な、制度的・社会的規範・倫理的方針・道徳的規範の順守と執行により、より良い結果を得ることは確実に可能だ。結局、NDライセンスで出版物を共有する場合、研究者は自身に対しても学術界にも恩恵を施しているとは言えない。これらの情報を広め、そしてより大きな社会的影響力を持たせるために、私達は学術出版物をもっともオープンな条件で共有すること、つまり記事にはCC BYライセンスを付与し、データにはCC0を付与することをおすすめする。
脚注
- 学術出版物は広く、学術的、学問的、科学的、そして研究に関する本、ジャーナル、記事、論文を含む。学術出版物は多くの場合公的援助を受けている。
- 全ての 4.0 NDライセンスは、テキストマイニングとデータマイニングを許可しているが、その過程で翻案物が作成さる場合も、成果物として生成される場合も、翻案物をさらに共有することはできず、内部あるいは私的な目的での利用に限られる。
このブログ投稿は Brigitte Vézina による“Why Sharing Academic Publications Under “No Derivatives” Licenses is Misguided″を翻訳したものです。
(担当:豊倉)