iSummit 2007 in クロアチア:アドリア海の鼓動

丸く大きなチェリーレッドカラーの太陽がアドリア海を揺ら揺らと照らし、海は金色に輝く。クロアチアの夕日はまるで魔法をかけられたように力強く美しいのです。
私は今、来年に開催される、icommons summit で上映するためのクロアチアの音楽についてのドキュメンタリー・ビデオを作成しています。
この神秘的な土地に撮影の仕事で何度か滞在したことをきっかけに、2007年6月、このドゥブロブニクで開かれる iCommons Summitに向けて、クロアチアの景色と音色をレポートしたいと考えたのです。


クロアチアは、アルファベットの[r]の形をしたアドリア海の最北端にある、若い国です。
クロアチアの人々は国を愛し、その殆どがカトリック教徒です。赤と白のチェックの国旗が、車のアンテナや、街のピザ屋の軒先に掲げられています。多くの人々は、ほんの数年前にこのドゥブロブニクの街が爆撃されたことを知らないでしょう。またクロアチアの前進であるユーゴスラビアが悲惨な民族紛争に巻き込まれたことも遠い過去のこととなっているかもしれません。
しかし、この街の地元の人々はドゥブロブニクの街が、その当時からいかに再建されたかということを常に誇りに思っています。さらに、2008年にはクロアチアはEUに加盟する予定であり、さらに経済発展が望まれます。

クロアチア語は、理解するのに難しいと思われる言語です。その言語は、イタリア語と、ドイツ語、ロシア語が混ざったような、泡のような音に聞こえるのです。(年長のクロアチア人は、地理的、歴史的にオーストリアと近接していることと、昔の帝国の名残より、殆どがドイツ語を話すことができます。)クロアチア人は音楽を通し、彼ら独自の国語を讃えます。伝統的な民族音楽は、祖国に対する賛美歌となっているのです。
街では、人々の愛と歴史を奏でる歌が、タバコの煙に満ちたバーで響き渡ります。

【ドゥブロブニク市内】
A classical concert inside an ancient palace in Dubrovnik, by Christoph Geiseler, CC BY 2.0
ドゥブロブニクの灰色のレンガ造りの壁(要塞)は5階建ての高さがあります。壁に囲まれた街は、急勾配の階段が大理石造りの遊歩道に続き、らせん状の通路は迷路のようになっています。
壮大優美な劇場にはキャンディー・カラーのアーチ型のベネチアン・ウィンドウが使われ、旅行者の目を楽しませます。また、ここに住む人々は温かく、常に人を迎え入れる性格の持ち主です。
もし、たまたまホテルが開いていなくても心配はいりません。地元の老夫婦達がいつでも、好きなだけ部屋を貸してくれます。

La Le…以前、ロックバンドのキッス(KISS) やエアロスミス(Aerosmith)を担当した照明デザイナーが、ここドゥブロブニクに、子供向けの慈善施設の設立に取り組みました。地元の人々同様、彼はドゥブロブニクの夏に洪水のように訪れる観光客の大きなクルーザーが、街の港の中心に碇泊し、地平線とそして素晴らしい日没の風景を台無しにしてしまうのに腹を立てています。昔ながらの家族経営の小さな店は、旅行者向けのブティックにとって変わり、地域の普段の日常品を探すには、街から5キロほど郊外へ向かわないといけません。しかし、ファーストフードや、インターネット接続なら、ホテルのフロントから、5メートルと歩かずに見つけることが出来ます。現在、外国人旅行者向けのアートワークショップが、Lazaretiで行われています。

夕刻、旅行者がクルーズ船に戻ると、ドゥブロブニクの街はその存在価値とも言える昔ながらの活気を取り戻します。香ばしい焼き魚の匂いが、街の戸口を漂い、旧友達は共に集います。また、夏には復旧された宮殿や、水辺のカフェが、即興のステージになり、演劇や、ミュージック・フェスティバルが行われ、アーティスト達が才能を発揮するチャンスを与えてくれます。また、ドンキ・ホーテのような、クラシック・リサイタルも開催され(しかもクロアチアで!)、ダンス・パフォーマンスを楽しむことができます。

‘Orlando’と言われるNGOが、夏の間だけ、病院をナイトクラブに変え、様々な音楽を発信しています。‘Orlando’のクラブでは、最先端のダブ、ブレイク、ヒップホップ、ジャングル、トリップホップなど様々な音楽ジャンルを発信しています。2006年の夏には、Orlandoは、ザグレブ(Zagreb)のサブ・レゲェバンド、Antenat(リンク壊れ)や、スプリート(Split)のヒップホップ・ジャングルのバンド‘St!llness‘,など、ジャズ・フュージョンからdarkwood dubまでの幅広い、音楽家達を迎え入れています。

【ドゥブロブニク周辺の紹介】
The white marble promenade inside Dubrovnik's city walls, by Christoph Geiseler, CC BY 2.0
ドゥブロブニクの周辺アドリア海には1000の島が浮かび、ドゥブロブニクの南に位置する小さなビーチ・タウンであるムリニ(Mlini)には安い宿泊施設があり、旅行者の数もそれほど多くはありません。ムリニでは、クリスタルの様な海岸線が街を美しく彩ります。ドゥブロブニクからのフェリーは、フヴァル(Hvar)島、ムルエット(Mljet)国立公園、コルチェラ(Korcula)島に向けて定期的に出ています。フヴァル(Hvar)島ではフェリーの停留所から30分程で、パルミザナ(Palmizana) で知られるモンテネグロの高級ホテルへも行くことができます。

ドゥブロブニクの北東におよそ5時間の所にある、プリトヴィッチェ(Plitvice) 湖群国立公園では、素晴らしい滝の数々を見ることができます。クルカ(Krka)国立公園もまた、雄大な自然と、滝に恵まれています。スプリート(Split)国際空港はドゥブロブニクの北の方向に4時間の場所にあります。
スプリート国際空港からは、クロアチアの数々の島やイタリアへのフェリーが出ています。(イタリア人旅行者はクロアチアのことが大好きなのです!)
スプリートから車かフェリーで2時間のところに、あるパグ( Pag) 島のゼルセ(Zrce)ビーチは、アドリア海のイビザ(Ibiza)へとつながります。ゼルセでは、Aquarius (リンク壊れ)のように大きなメガクラス級のクラブで、ヒップホップからハウス、そしてトランスまで様々な音楽が流れ、重低音が響いています。

さらに、ドゥブロブニクから7時間のところに、セーニ(Senj)という、小さな海岸沿いの町では、毎年夏にブラジリアン・カーニバルが行われ、大きなディスコのマグナスが参加しました。さらに海岸を北に行くと、リエカ(Rijeka)の港町に続きます。
近隣には、オパティア(Opatija)という可愛らしい街が隣接し、ヨーロッパの貴族階級の保養地として有名であり、美しい宮殿やホテルが、ウチカ(Ucka)山の裾野に広がります。ウチカ山は、イストリア半島の全景を望むことの出来るマウンテン・バイクの盛んな土地でもあります。

クロアチアの首都であるザグレブ(Zagreb)は、リエカから東に車で二時間の所にあり、ドゥブロブニクからは9時間の場所にあります。ザグレブの街は、夏の間は静まり返るのですが、それはクロアチア人の多くが皆海岸沿いの避暑地に行ってしまうからです。ザグレブから北へ2時間でハンガリーの首都、ブタペスト(Budapest)へ行くことができます。クロアチアの北の入り口である、ヴァラズディン(Varazdin)は、多くのバロック調の建物があり、
一見の価値があります。ヴァラズディン近くにあるトラコスカン(Trakoscan)城の近くでは、海岸沿いを訪れる観光客へのまた格別な楽しみを提供してくれます。

ザグレブからドゥブロブニクまでは、飛行機で約1時間半で戻ることが出来ます。ドゥブロブニクに戻ると、まだ子供達は大きな壁を登ったり降りたりしています。子供達の声が、広がる海に向けての歌のように、夜の街で鳴り響きます。この海辺の要塞は、かつてはベネチア人の船乗り達の誇りでした。ビザンティンの先祖もまた、要塞の壁の権利を主張していました。今ではデジタルカメラさえあれば、中世の胸壁を幾らでも自らの手にすることができます。もしドゥブロブニクの壁を登るのであれば19:00までに事務局が閉まる前に行きましょう。壁を登るときには、十分に体力を蓄え、頑張って力を維持してください。クロアチアを最初に訪れた旅行者の人々はそこでまず息を切らしてしまうのです。

(翻訳:Lisa Ito) 掲載日:2006年11月9日