インターネット・ガバナンスフォーラム:正しい方向への一歩

10月31日から11月2日まで、私はギリシャのアテネで初めて開催された国連インターネット・ガバナンス・フォーラム(IGF)に出席した。それは世界情報社会サミット(WSIS)から生まれ、いかに情報伝達技術(ICTs)を発展のために用いるかを国際的な枠組みの中で議論している。


国連サミットの場合、文章を作成することがサミットの主な進め方である。その例として、2003年ジュネーブ会合における「基本宣言」と「行動計画」、2005年チュニジア会合でのチュニスコミットメントと情報社会に関するチュニスアジェンダなどがある。しかし、このサミットは違っていた。サミットには多様な利害関係者が参加し、ビジネス界や非政府団体の声が、政府による宣言についての徹底した議論の場であるセッションに反映されるようになり、開催は2層構造になっている。ジュネーブからチュニジアまで2年間の期間が開いていたにも関わらず、知的財産権や検閲、表現の自由、人権、ネットワークの費用負担の問題、インターネット・ルートサーバーやドメインネームの管理における議論等、ICTに関連したさまざまな未解決の議題が残されている。さらなる議論が必要であるし、だからこそ、IGFの考え方が生まれた。しかし、このサミット自体、インターネットの支配をますます強化するような、支配的な権力のための情報交換の場にすぎないという可能性はあるだろうか?
今月の初めに会合が開かれたことで、そうした質問に対しては「違う」と解答できる。そのアプローチと感覚はWSISとはかなり異なっていた。どこが違うかと言えば、WSISはトップダウンで、多様な利害関係者の意見が含まれているとしても最終的には政府が結論を出すことになっている。これに対して、IGFでは拘束力のある結論は出さず、政府や市民社会、ビジネス界、学術界の代表者に公平な立場から未解決の問題を議論するチャンスが与えられていた。ベルリンの社会科学研究センターの研究員でIGFのアドバイザリーグループメンバーの1人である、Jeanette Hofmannによれば、フォーラムが決定の委任権を持っていないのは、「まさに参加した利害関係者全員の公平を担保する前提」なのだ。
議論だけに前提をおくことは意味があることだ。それは、多様な利害関係者にとっての共通言語の発展を促進し、異なる検討課題と利害に関して、より広い同意に向けた効果的なコミュニケーションとそのプロセスを生み出していく。また、従来の権力構造を弱める効果もある。実際、ホールに公式の席順も用意しないし、ネームプレートがある代表団のテーブルなどもない。ワークショップでは、政府や市民社会、ビジネス、学術会の代表者によって議題が用意され、コンテンツ規制や知識へのアクセスの問題等を含む、通常の視点からは見えなかった無期限の問題が議論される。議論を進めるなかで、ある問題について参加者間の同意を構築することが可能となるならば、IGFの進め方とは、同じ志を持った集団が「ダイナミックな連合」を構築することなのだ。その連合は、集団形成を許可し、共同活動に賛同するだろう。フォーラムでは、インターネット・ガバナンスやオープンスタンダードやジェンダーについて、個々の立場でダイナミックな連合を作るべきだというボランタリーな提案もあった。
もちろん、インパクトを起こしたいと考える集団にとっては、ワークショップの比較的監視の甘く、民主的でボトムアップの議論形体はひとつの挑戦であり、iCommonsのエントリー「インターネット・ガバメントフォーラム:それは始まりか過程、もしくは最終点か?」でHeather Fordが論じたことと同じである。HeatherはiCommonsのアプローチからアドバイスと提示する。なぜなら、iCommonsの普段の活動において、IGFが育成しようとする多様な利害関係者間のつながりが実践的な形で示されているからだ。
それでは、発言の機会をオープンかつ平等に与えられると、議論自体にどんなメリットがあるのか? メインセッションが筆録をとっているのと同様に、その理由は4つある。それは、オープン性(表現の自由、情報やアイディア、知識の自由な流通)セキュリティ多様性(他言語主義とローカルコンテンツを促進すること)、そしてアクセスである。そのような理念のもとで、36のワークショップが平行して開催され、活気ある魅力的な議論が繰り広げられた。それらいくつかについては短いレポートがある。
最終日、フォーラムの活動を「Taking Stock:」と題したプレゼンテーションで締めくくり、若い視点から出てきた問題についてのパネルディスカッションへと続く。私はブラジルやカナダ、ギリシャ、インド、ナイジェリア、モーリシャス、トルコの代表者とともに討論に参加した。参加者たちはさまざまなフィールドに経験をもっていた。たとえば、環境維持開発、メディア、ICTへのアクセス、インターネット法、子供の安全、e-ガバメントなどである。討論者たちは政府や市民団体、ビジネス界、学術界などの代表者だった。その中で現れてきた主な問題は、インターネット上での子供の安全や、ICTへの物理的アクセス、つまり、アクセスへのアクセスである。他の言葉で言えば、物理的アクセスへ接続できる状況と能力で、オンラインの権利と責任、能力開発と著作権である。フォーラムのいたる所で見られたような最後の議題は、著作権の強化と知識へのアクセスの間にある対立である。鍵となる主張とは、イノベーションを起こすためやクリエイティブ・コモンズライセンスで化学研究を発表するため、インターネットで促進された「自由な言論の新しい形」を抑制しないために、知的財産権をより柔軟性にする必要があるといったものだ。クリエイティブ・コモンズの大きなうねりが、推進力を得て、国際的にも高いレベルで波を作り出していることはまちがいない。
クロージングセレモニーでHoffmanは、 「IGFは地理的、文化的、性的、政治的な境界を越えたコンセンサスとコミュニケーションの新しい形を経験できる機会をくれた」と述べた。このオープンな構造はユニークかつ革新的なイベントから構成され、そしてそれは「他分野にまたがり、通常では対面することなかった多様な利害関係者が対話するための新しい乗り物」と、国連インターネットガバナンスの事務局長Nitin Desaiは述べる。これらすべてはオーバーに聞こえるかもしれないが、国連組織の動きは遅いということを思い出すべきだ。市民社会やビジネスにとっては、政府と対等な立場を与えられるということは、こういった組織のなかでは確かに革命的である。IGFのパネリストであり、かつPanos Londonにて情報社会プロジェクトの代表者を務めているMurali Shanmugavelanは次にように述べる。「IGFの存在が、国連に対して他のグローバルな政治問題に関して同じようなアプローチを取るよう圧力をかけていると想像できる」
IGFのスタート時、インターネット・ガバナンスに関する国連事務局のエグゼクティブ・コーディネーター、Markus Kummerはこのフォーラムの目的について質問を受けた。「会議の価値は会議そのものです。交渉による成果など恐らくないでしょう。今後どのように進行していくか。正直言えば、私もまだわかりませ。」と彼は回答した。
このフォーラムの目的が議論をすることではなく、むしろ公式な政府間の領域で取り組むべき議題を明らかにすることにあるとすれば、その努力の効率性について懐疑的な人物は幾人かいる。多様な利害関係者による会議への移行という根本的な変化は、この懐疑主義によって簡単には否定されないだろう。未知の海への航海は正しい方向への第一歩である。そして、年1回のIGF会議がどこに向かっていくのかを楽しみに見ている。来年の11月にリオデジャネイロで次の会議が予定されており、その後2年間は、エジプトとインドで開催される予定になっている。

翻訳:Takuya Nakadai
オリジナルポスト:The Internet Governance Forum: A step in the right direction(2006/11/15)