伝統的知識と起源的資源(イェール大学A2K2)

サンゴマス、科学者、勇敢な開拓者、ジャングル奥深くのエキゾチックな秘密、気高い野蛮人-伝統的知識と起源的資源についての領域は、異論にまみれたステレオタイプに満ち満ちている。


コロニアリズム、ポストコロニアリズム、ネオコロニアリズムに関する言説は、いかなる理論家をも満足させうるものだ。時としてこの見通しは不透明なので、いくらかの(明白な)観察を曖昧にしてしまうきらいがある。これらの観察は、A2Kの活動が伝統的知識を理解する上で重大なものとなるかもしれない。

第一の観察は、土着の社会というものは互いに異なるものであり、それぞれ多様なものであるということだ。二つ目は、近代のプロジェクトに不可欠なコロニアリズムが、伝統的コミュニティを手つかずのままにせず、搾取、私有化、分裂といった手順によって統治してきたことである。
結果として、伝統的知識の諸システムは崩壊してしまった。これらのシステムは決して静的なものだったわけではなく、通商や移住の歴史を通じて変化し続けたのであり、コロニアリズムによる土着のコミュニティの再配置を経て、いっそう込み入ったものにされてきた。例えば奴隷制や、食料や、医療を経ることで、地球全体にわたって移動させられたのである。

現在では伝統的知識や起源的資源は発展途上国の問題と見なされているようだが、本当なのだろうか?

私有は国境を越えた現象であり、主流となっている知的財産権(IPR)の使用にしばしば関係する。すなわち、多国籍企業が伝統的知識を”所有”するための特許や商標システムのことだ。
ともかくこのことは、この問題が従来の知財に関わるものであることを示している。私有が発展途上国のみで起こるのでなく、先進国においても起こるものであるならば、知財も同じく変化を必要としており、それゆえそれぞれの国の法律の改正を必要としているということになるだろう。

伝統的知識の従来の研究についてのもう一つの論争的な領域は、誰が”集団”に帰属する者であるのか認定する上で諸々の法律的問題が生じるために、集団の諸権利を守ることが難しいという、誇張されやすい見解にある。しかし、西洋的な法制度は、集団訴訟や第二世代の憲法制度において、金銭やその他の利益を常に与えられる集団に誰が帰属するのかを確認している。

伝統的な知識は、そろそろ法学的考察の対象であることを終えて、グローバルな知的財産制度を再考するための主要なインセンティブのひとつとなる時期にさしかかっている。

写真: ある伝統的なズールー族の村落における医療実践のための3つの支柱, by dcuthbert, CC 帰属-非営利-改変禁止 2.0

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翻訳:eboshilog

オリジナルポスト:Traditional Knowledge and Genetic Resources (Yale A2K2)(2007/4/29)