iSummit報告:ライセンスの最新議論いろいろ

今年のiSummitでは、昨年と同じ3日間の会議に加えて、ライセンスの法律的な点を集中的に議論する「法律の日(Legal Day)」が設けられました。

この中では、ライセンスのv3.0のバージョンアップを米国以外でを最初に着手したオランダから、その経験をみんなで共有するセッションが設けられたほか、ライセンスに関するいろいろな議論がされました。以下に、かいつまんでご紹介します。


まず、V3.0については、CCオランダを含めたパネルで以下の点が議論されました。

(1) ご存知のとおり、CCライセンスは、著作権(及び著作隣接権)を対象にしたライセンスですが、コンテンツに含まれる権利は、著作権だけではありません。たとえば、肖像権や、ヨーロッパでは、欧州データベース指令に定められているデータベース権などもコンテンツには含まれています。
 オランダからの問題提起は、少なくとも、欧州では標準的な内容で定められているデータベース権は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの対象として含めるべきではないか、そのことによって、包括的な権利処理ができるようにすべきではないか、というものでした。

 結局、その場の議論では結論が出ませんでしたが、この問題は、なかなか難しい問題だと個人的には感じています。その後、その問題意識をパネルで指摘した、オランダの学者であるルーシー・ギボー(Lucie Guibault)に、なぜ、肖像権は含めずにデータベース権だけなのか、とたずねたところ、肖像権は、その保護の水準が国ごとに違いすぎ、スタンダードのライセンスに含めるほど成熟していないと認識しているから、とのことでした。

 日本でも、しばしば、特に映像にかかわるビジネスをされている方からは、著作権もさることながら、肖像権については、クリエイティブ・コモンズは対象にはしないのか、といったご指摘や、クリエイティブ・コモンズだけでは処理できない部分があるにもかかわらず、著作権だけ考えればあとはフリーであるかのように理解する人がいては困るのではないか、といったご指摘をいただくことがあります。その点は、確かに、これからのクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの課題のひとつだと考えています。とりあえず、ライセンスに含めることは、CCJPだけでの判断ではできないことなので、その分、啓蒙等で対応しなければならないだろうと考えています。

(2) また、著作権管理団体との関係で、管理団体を通じて権利者に支払われる対価に関する取り扱いを整理する条文を、ライセンスv3.0では入れることになりました。これは、①放棄できない法定の対価(たとえば、補償金で放棄できないもの等)、②権利者の意思表示により放棄できる法定の対価(補償金等)、③法定ではない、任意の著作権管理団体からのライセンス料、のそれぞれについて、ライセンスの種類(営利・非営利)に応じて、取り扱いをできるだけ標準化する狙いです。

(3) さらに、ライセンスの相互互換性の規定を新設しました。CCライセンスの帰属-継承ライセンス(BY-SA)については、派生させた作品を、CCが認めたほかのライセンスの元でリリースすることができるようになりました。「CCが認めるほかのライセンス」とは、同じ目的・意味・効果を持つライセンスのことです。CCは現在、いくつかのCCと理念の近いライセンス団体(たとえば、フリー・ソフトウェア財団など)と協議をしており、その協議がすめば、相互互換性が実現することになります。ウィキペディアのライセンスであるGNU Free Documentation License (GFDL)との相互互換性が早く実現するといいな~と私は個人的に、楽しみにしています♪

また、v3.0に関連に関連しないほかの点では、ライセンスの引退をはじめ、以下のような発表や議論がありました。

(1)ライセンスの引退 その1
発展途上国ライセンス(Developing Nations License)が引退しました(ライセンスとして廃止になりました)。理由としては、ほとんど使われなかったこと、また、発展途上国における知の共有を進めるオープン教育・オープン出版の人々から、彼らの運動に対してフリー・ハンドを与えない可能性のあるライセンスについては、彼らの努力を妨げる可能性があるとの申し入れがあり、彼らの努力を尊重することとしたためだとの説明がレッシグ教授からありました。

(2)ライセンスの引退 その2
サンプリング・ライセンスが引退しました。サンプリングライセンスを引退させた理由も、このライセンスが、サンプリング・グループの3つのなかで、もっとも使われていないライセンスであること、したがって、種類を減らして単純化することが主たる狙いです。また、サンプリング・ライセンスは、サンプリングは認めていましたが、その結果作られた作品の演奏や頒布などは、営利・非営利を問わず、基本的に制限していました。特に、この非営利の利用であっても頒布や利用を制限する、という部分が、オープンな世界中の運動における潮流(非営利の活動については自由に、というミニマム・コンセンサス)にそぐわない、という理由もあったということです。これに対して、サンプリングのほかに、営利も含め頒布や上演も認めていたサンプリング・プラスと、非営利に限り頒布や上演も認める非営利-サンプリング・プラスは、引退していませんので、誤解のないようにしてくださいね~。これらのライセンスは、音楽サービス等々で、世界中の沢山の方々に利用されています。

(3)CCライセンスは契約か、「権利不行使宣言」か
議論の中で、CCライセンスは、契約として拘束力を確保すべきか、それとも、著作権法の執行力に基礎を置く「一定の条件下の利用に対する権利不行使宣言」であるか、という議論が盛り上がりました。ご存知のとおり、CCは、現在、契約かもしれないけれども、契約である必要はない、という立場をとっており、したがって、CCライセンスをつけるときに、「あなたはCCライセンスの利用条件に承諾しますか」といったボックスにクリックさせたりするようなことは一切していません。これは、「CCライセンスの利用条件に反したときは、権利不行使宣言の範囲外だから、権利者は権利行使をしてよい」という考え方で、普通に、著作権違反で訴訟ができる、という考え方に基づいています。この考え方に基づけば、利用者が利用条件を守らなかった場合の権利行使は、比較的法律的に問題が少ないのです(もちろん、事実上の訴訟費用などの問題は、他の紛争と同じように残ってしまうのですが。)

この、権利不行使宣言という考え方をとったの場合に、実は、より厄介なのは、権利者側の「勘違い」や「気が変わった」といった場合です。CCライセンスを信用して使っていたのに、権利者が、なお、まじめな利用者を訴えたときには、どうなるのか?レッシグ教授は、議論の中で、何度も、「どこの国の裁判所であろうと、権利者自身が、使ってよいといっていたのに、その言を翻してまじめな利用者を提訴したときに、権利者側に立って訴えを認めるような事態が起こることは考えられない、というよりも、そんなことを裁判所がすることがあってはならない」といった、ある種の裁判所や法律への信頼から、その問題は杞憂だ、と主張しました。それに対して、ブルガリアやフィリピンのCCからは、そんなことはない、契約でない以上は、権利者が気を変えたとしても(たとえば、素人の権利者が、私はそんなことを許諾しているとは認識しないでCCマークをつけたが、ライセンスする気はなかった、と主張したとしたら)、裁判所は権利者の言うことを聞き入れ、CCライセンスを信用した利用者への請求を認めるかもしれない、といった議論がなされました。日本では、どうなるだろうか、と考えてみたのですが、利用者の落ち度が全くない限りは、おそらく、契約の成立を認めるか、禁反言(自分のいったことを信用した第三者は保護されるべきである、という理念)によって保護されるの可能性はかなりあるのではないかと考えています。

長くなりましたが、以上、ライセンスでした!

文責:野口 祐子