デジタル・ストーリーテリングの力

ストーリーテリングは人類の歴史とおなじくらい古い。最も古いものではオーラル・ヒストリー以前の狩の偉業についての物語がある。Joseph Campbellは『The Power of Myth』(邦題:神話の力)において、殺された動物とその魂が向かうあの世の物語のことを「不協和音の合唱」と表現している。のちに先人たちは洞窟壁画を描くようになったが、宗教儀式や祭式に際してはなおも物語を用いていた。物語は重要な出来事を記録し、共通の価値観を表現し、年長者がコミュニティのメンバーに知恵を伝達するために用いられた。ストーリーテリングとは根本的には人間の経験を記録し、その意味を理解するためのものだった。


数千年の時間を早送りして1994年のアメリカ合衆国を見てみよう。満月のもと、丸太に座っているひとりの男がキャンプファイヤーの横で、耳を澄ました聴き手たちに物語を語っている。だが、これは通常考えられるような炉辺の光景ではない。バチバチと音を立てている「炎」は、実は薪の山とともにパソコンのディスプレイ上に映し出された仮想のものだ。月は背景スクリーンに映された画像である。マルチメディアを使った双方向シアターの草分けであるDana Atchleyが小さな壇上で語っているのは、アメリカ旅行中にビデオカメラを持って乗り込んだおんぼろのバンの車中で出会った家族、友人や興味深い人たちのことだ。話が進んでいくにつれ彼は聴衆に話しかけ、うしろに設置された別のスクリーンで上映するホームムービーを選んでもらう。そうして彼は、あまり訪れられることのない中部アメリカのハイウェイ沿いの旅へと聴衆を連れていく。残念ながら彼はすでに亡くなっているが、彼の制作会社と物語のコレクションはNext Exitにて利用することができる。
Digital Storytelling Associationは、この比較的新しい芸術形式を次のように定義している。「ストーリーテリングという古くからの芸術の現代的な表現は…メディア-すなわち、語り、共有し、保持すべき中身のつまった物語-を創るためにデジタルメディアを用いる。デジタル・ストーリーがその力を得ているのは、画像や音楽や物語や音声を一緒に織り込み、それらを通して奥行きの深い次元と鮮やかな色合いを登場人物や状況、洞察に与えることによってである。」
1990年代初め、AtchleyはNina MullenやJoe LambertとともにCenter for Digital Storytelling(CDS)を設立した。以来、CDSはテクノロジーに精通した人からテクノロジー恐怖症の人まで、デジタル・ストーリーを語るためのマルチメディア・テクノロジーの利用において6,000人以上を助けてきた。もっとも、それらの物語は本人が語るのではなく、オンラインで提示されたのだが。3日間にわたるワークショップで生徒たちは、短いデジタル・ストーリーを設計・製作する。その一例を見てみよう。生徒たちは一人称形式の音声による物語を録音し、静止画を集めてスキャンし、サウンドトラック用の音楽を探す。もちろん、これらの物語の構成要素はクリエイティブ・コモンズ(CC)から調達できる。インストラクターは編集ソフトを用いながら、生徒たちが作品を織り成し、私的な物語を編集するのを手伝う。
デジタル・ストーリーは、Digital Hero Book Projectにおけるような私的な自己表現のため、あるいはCapture Walesプロジェクトにおけるようなローカルな口頭伝承による歴史を保持するために用いられる。また、デジタル・ストーリーはジェンダーにもとづいた暴力の終息、南アフリカにおけるHIV/エイズの防止、知識の集団的共有など、ある種のマーケティングとして顧客の物語を巻き込むといった活動を支えるためにも用いられる。さらに、デジタル・ストーリーは教育的な目的のために使用されることも増えてきている。アメリカではコンピュータやデジタル・ビデオカメラ、デジタルカメラ、オーディオレコーダや編集ソフトを利用できる教室もあり、そこで生徒たちは、10代の若者が今日直面している難しい人生選択から、生活の物理的な空間にいたるまで、ありとあらゆる事柄に関する物語を創っている。
このPlace Projectの前に、マサチューセッツ州にあるMaria Hastings Schoolの5年生の生徒らひとりひとりに「あなたは作家ですか?」と質問したところ、60パーセントの生徒が「Yes」と答えた。終わったあとに同じ質問をしてみると、99パーセントの生徒が「Yes」と答えた。デジタル・ストーリーテリングは、生徒たちが自らの内部に潜む作家としての可能性を見つけるきっかけとして役立つだけではない。それはコミュニケーション能力や批判的思考のスキルを養うことも明らかになっている。
今日でもまだなお、すべての人々にとって物語を語り合うために必要な最低限のものが満たされてはいない。世間一般の人々がより強力なマルチメディアのツールを手に入れるなら、伝統的なメディア生産者-一般消費者という役割関係は逆転することだろう。2004年にChris AndersonはThe Long Tailという記事で、この役割関係の逆転とそれが伝統的なメディア力学に及ぼす影響についてさらに詳しく説明している。より一層、コンテンツを創る力が人々の手に渡っているということは、JumpcutOurmediaなどのサイトからもはっきりと見て取れる。ビデオによるブログすなわちvloggingを通してオンラインの日記をつけたり、特定の問題をめぐる問題意識を提示する物語を製作したりすることも可能となっている。そしてまた、ただ純粋にそれを楽しむことも可能だ。
ユーザーによるコンテンツはYou TubeGoogle Videoなどのサイトに見られるが、それらの激増はあらゆる点でよいわけでもない。それらのコンテンツの多くが主張していることに反して、そのすべてがデジタル・ストーリーテリングを構成するわけではないし、社会にとって価値があるわけでもない。次回の記事ではCDSのAmy Hillを紹介する。そして伝統的なデジタル・ストーリー伝承の性質と核心を保持することがなぜ重要なのかについて、彼女の見解を聴くことにしたい。ディレクター席につく人が魅力のある物語を生み出し、自らの声をとどろかせられるようにする方法を彼女は説明してくれるだろう。一方で、Tech Head Storiesへと貼られたデジタル・ストーリーテリングのリンクの大規模なリストを見れば、さまざまなことを可能にするこの営みについて、より多くのことがわかるだろう。
もはや洞窟壁画が描かれることはないが、他者や自分の人生を理解するために物語を用いることの価値は以前とまったく変わっていない。デジタル・ストーリーテリングは、感銘的かつ強力で親しみやすい物語を創造するのに、今日のマルチメディアによるツールを用いる。そのことはTembi’s Diaryを聴きさえすればわかるだろう。それは、デジタル・ストーリーテリングが自らの物語を語る人に精神浄化作用的な癒しを与える一方で、積極的に行動するためのツールを提供することによって、発するべき声を持たない人々を鼓舞してもいるというすぐれた実例となっている。
これはデジタル・ヒーロー・シリーズ初の記事であり、来年の5月までicommons.orgに掲載されることになっている。Steveは、スタンフォード大学でのReuters Digital Vision Programのフェローとしてデジタル・ヒーロー・ブック・プロジェクトを展開中である。彼が書くことになっている物語のいくつかは、そのプロジェクトにおけるCCライセンスの使用、ICT4Dプロジェクトに対する最善の営みのためのアドバイス、およびその分野における主要な人物のプロファイルに関するものである。デジタル・ヒーロー・ブック・プロジェクトでは、その推進者の不足を補うためにさらなる資金を必要としている。より詳しい情報を知りたい方、またはプロジェクトに寄付していただける方はMolotech’s siteへ。
写真:狩の偉業の最古の記録-moron noodleCC BY 2.0によるSan Bushman rock artより。

翻訳:Takatomo Abe
オリジナルポスト:The Power of Digital Storytelling(2006/10/23)

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