ドゥブロブニク――その歴史・文化・会場

次回の「The iCommons Summit」の開催地であるドゥブロブニクは、長い歴史と数多くの文化的遺産を誇る都市だ。ここはクロアチアのアドリア海に面した海岸線の最南端に位置しており、アヴァール人とスラブ人の侵略から北西に逃げてきたエピダウロス(現在カヴタットと呼ばれている古代ギリシアの都市)付近のイタリア系住民が、7世紀に海岸そばの「ラグーサ(Ragusa)」と呼ばれる小さな島に定住したことが始まりである。その後12世紀に入り、ラグーサの町は沿岸のスラブ人集落と融合し、島と岸の間の海峡が埋め立てられてStradunと呼ばれるドゥブロブニクのメインストリートが造られた。


ビザンツ帝国とヴェネツィアによる数世紀間の統治後、1358年にドゥブロブニクはハンガリー・クロアチア王国の支配下に入り、ラグーサ共和国として自由都市の地位を与えられる。1806年のナポレオンによる征服まで続くこの独立の間に、ラグーサ共和国は、海上の覇権と貿易においてヴェネツィア共和国以外に匹敵する相手がいないほどの大きな勢力を誇ったという。この繁栄のおかげで、ドゥブロブニクでは芸術と科学が進歩し、ルネッサンス時代にはMarin Drizic、Ivan GundulicRudjer Boscovichといったバロック芸術家、科学者たちを輩出している。
しかしこのような350年にもおよぶ興隆と衰退のあと、1667年に壊滅的な大地震の直撃を受けてしまい、その後この都市の命運は一変することになってしまう。この共和国は非常に自由を重んじていたが(ラテン語の「Libertas」。この「自由」を意味する語はドゥブロブニクの歴史的な紋章にも刻まれている)、内部では厳格な社会構造が存在していた。つまりこの共和国は、貴族と平民と賤民に厳しく階級分離された貴族社会だったのだ。しかしながら、奴隷制度と奴隷貿易は1418年に廃止されている(訳注:奴隷制度を廃止したのは世界初とも言われる。このほかにも優れた福祉制度を展開したことでも有名)。統治の最高機関としては、18歳以上のすべての貴族からなる大評議会(the Grand Council)と、小評議会が存在していた。また、国家の長は大公(the Duke)で、1ヶ月の任期で選出されていた。
1808年、ドゥブロブニクはナポレオン軍によって征服されてしまい、ナポレオン帝国イリュリアン州の一部となる。続いて1815年には、オーストリー帝国に帰属することになったが、1918年にこの帝国から発展したオーストリー=ハンガリー帝国が崩壊し、後にユーゴスラビア王国となるセルビア・クロアチア・スロベニア王国の一部とされた。ちなみに、この時代にラグーサからドゥブロブニクへと正式名称が変更されている。
その後、第二次世界大戦中には枢軸国側の傀儡国家であるクロアチア独立国の支配下に入るが、1944年にレジスタンス運動によって解放され、1945年にユーゴスラビア連邦共和国内のクロアチア連邦共和国に編入されている。1991年、この連邦共和国は「クロアチア共和国」という独立国になった。
この際に起きたユーゴスラビア解体は武力紛争となり、この戦争の中でドゥブロブニクは7ヶ月にわたってユーゴスラビア軍に包囲され、激しい攻撃を受けて大きな被害を被った。ただ15年を経た現在では、ドゥブロブニクの都市と市民生活は大部分復興しており、平常時の生活が戻ってきているという。
この古都ドゥブロブニクはユネスコの世界遺産に指定されている。8世紀から16世紀に建設された旧市街の城壁内には、Rector’s Palace、Sponza Palace、Onofrio’s Fountain、the Cathedral and Franciscan Monestary、Orlando’s Columnなどあげきれないほど数多くの重要な文化遺跡が残されている。また、現代のドゥブロブニクも文化と科学が盛んで、映画とクラシック音楽のサマーフェスティバルが開かれており、ドブロブニク大学や、Inter-University Center for Advanced studiesthe Museum of Modern Art等の機関や、多くのギャラリーが存在している。
しかし、この街の文化生産の中心は、何より需要が高まっている観光業であろう。既存の2つの民間文化施設「Art Workshop Lazareti」「Orlando」は、あらゆる人々を引きつけるような実験的な取り組みを任されている。「The iCommons Summit」は2つの歴史的な場所で行われる予定である。カンファレンスパートは16世紀に港と旧市街の入り口のプロエ門を守るために建設されたRevelinという要塞をメインに行われる。この要塞は、今では4フロア3500平方メートルを超える広さを持つイベント会場として利用されている。2つめの場所は、1377年に造られた古い停船港であるLazaretiと、the Art Workshop Lazareti culture centerの本部である。Lazaretiはすばらしいコンサート・展示会用の会場を提供してくれるだけでなく、すぐ近くで街のビーチと古い港を一望できる。また、古い廃病院を転用したOrlandoクラブも利用する予定である。
できることはたくさんある。このチャンスを生かすかどうかは私たちにかかっているのだ。さぁ、ここにアクセスして今すぐ計画を立てようじゃないか。

オリジナルポスト:Dubrovnik – the history, the culture, the venue(2006/12/5)