パラダイムとしてのコモンズ

デイヴィッド・ボリエ氏は、コミュニケーション学系の研究機関として米国では名前の知られている南カリフォルニア大学のアネンバーグ・スクールのシニア・フェローであり、情報政策に関わる公益アドボカシー団体として知られるPublic Knowledgeの創設者の一人でもあります。2日目午前の基調講演では、コモンズを新しいパラダイムと捉えた大胆なビジョンを提案していました。


コモンズ(この基調講演では、資源を共有する集団)は、ルールを基本とした既存の政府とは違い、社会規範や自発的行動によって成り立っています。自己の利益の最大化を目指す市場経済と異なり、社会規範によって共有資源が保たれる点も特徴的です。ブログが大手メディアを凌ぐ情報伝達機能を担った例などをあげつつ、コモンズが既存メディアと異なる情報伝達のチャンネルであるとも位置づけていました。

具体的な課題(特定の資源の共有)を核に形成されているので、実践的な問題解決の姿勢を持っていて、政治思想・信条の衝突といった典型的な問題に陥りにくいことも評価していました。それは既存の体制を壊すことや、何かに反対することよりも、新しい何かを生み出す事の方に力を注ぐ、とも。

ところが、現代社会は資源を囲い込んで、共有されていたものを占有する方向に向かっている、とボリエ氏は見ています。遺伝子、水資源、苗種、公共空間、社会保障制度、公園、など様々な例を挙げ、そこに2つの「ネオリベラリズムの過ち」があると指摘していました。ひとつは、天然資源のように有限な資源を、無限であるかのように扱ってしまうこと。もうひとつは、デジタル著作物のように実質的に有限性とは無縁なものを希少性があるかのように扱ってしまうこと。彼はこのような流れに対して、コモンズがより活性化されることに強い望みを託していました。

駆け足での講演で、スケールの大きな話であるために、説明しきれていない部分も多くありますが来年には「Viral Spiral: How the Commoners Built a Digital Republic of Their Own」という著書も出版されるということです。

これらの話からは、これからは社会がコモンズを根本原理として大変革される、という風にも受け取れます。その点について尋ねてみたところ、ボリエ氏は政府ともビジネスセクターとも違う、いわば市民社会の原理をコモンズに見ているようで、市場や政府がそれぞれにふさわしい領域で機能し、コモンズが復権することの重要さを唱えたい、ということでした。特に(アメリカの)進歩派(Progressives)の展開に期待をしているということです。同時に、コモンズは特定の党派に収まりきるモデルではないという考えも持っており、例えばアメリカの文化的な保守層の中には、市場主義を過激に推し進めようとする経済的保守主義との折り合いがつかずに、むしろコモンズの考え方に共鳴する人々も多いだろうといった話にもなりました。例えば、品位を欠いたテレビ番組を放送することに対して、経済的保守主義は政府が規制に乗り出すべきではないと考えますが、文化的保守層は自分たちの文化を損なうものとしてこうした放送に反対しがちです。保守の中にもこうした対立があり、コモンズは市場主義の行き過ぎ感じている文化的保守に支持される原理たりうるだろうということでした。

執筆:渡辺